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龍田 (熊本市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 熊本県 > 熊本市 > 北区 > 龍田
龍田
熊本市立龍田中学校
日本
都道府県 熊本県
市町村 熊本市
行政区 北区
人口
2012年(平成24年)8月1日現在)
 • 合計 12,508人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
861-8006
市外局番 096 (熊本MA)

龍田(たつだ)は熊本県熊本市北区の地名。龍田一丁目から龍田九丁目までが設置されている。竜田、立田ともいう。2012年8月1日現在の人口は12,508人[1]郵便番号861-8006。

地理

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龍田は熊本市の北東部に位置する住宅地。西に立田山、東に白川があり、自然も豊かである。北で楡木、北東で龍田弓削、東で白川越しに上南部、南東で同じく白川越しに下南部、南で龍田陳内、南西で僅かに黒髪室園町、西で乗越ヶ丘、北西で兎谷清水岩倉と接している。

※室園町とは、道路上の一点で接している。
※※清水岩倉とは、道路上の一点で接している。

歴史

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地名の由来

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近くにある立田山(龍田山)にちなんでいると伝えられる。[2] なお、正しくは「天田」だったという説もある。

沿革

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縄文後期の遺跡が白川河岸に見つかっているため、原始的な農耕が行われていたと考えられている。
弥生・古墳の遺跡も多く見つかっていることから、飽田郡の郷の一つである立田郷があったと考えられている。
961年(応和3年)、国司紀師信によって代継宮が奉祀される。[3]
源俊国国司時代の1156年(保元元年)に弓削神社創建と伝わる。
1332年(元弘2年)、立田阿蘇三宮神社が宇治惟直によって牧鶴に創建。
恵良惟澄が立田を焼き払う。
15世紀後期から1560年頃まで菊池氏一族の立田氏により支配。立田小太郎重治により、白川小金淵に立田城が築城される。また、1555年頃には、立田山中に宝積寺(寳積寺)、陳内阿蘇神社が建立された。加藤氏統治時代には、鹿子木一族が支配したとされ、1588年(天正16年)には、清正によって豊後街道が拓かれ、肥後藩の参勤交代における要所となる。
1645年(正保2年)、現在の武蔵塚公園のあるあたりに、宮本武蔵が葬られたとされる。
細川氏統治時代には、東福寺、片彦瀬菅原神社など多くの仏社が建立され、1661年(寛文元年)に立田阿蘇三宮神社は現在地に移設された。[4]
神風連の乱、西南戦争では戦火に見舞われることとなった。
1873年現在の龍田小学校のもとになる、下鶴学舎、芭蕉学舎、上ノ林学者、宝積寺学舎、陳内学舎が開かれる。
1886年(明治19年)下鶴学舎、芭蕉学舎、上ノ林学者、宝積寺学舎、陳内学舎を一つに合わせて、「上立尋常小学校」が設立。
1889年4月1日町村制が施行され、弓削村、上立田村、陳内村が龍田村に。飽託郡に含まれた。
1912年(明治45年)弓削神社焼失、翌1913年大正2年)に再興。
1914年(大正3年) 豊肥本線が通る。

交通

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鉄道

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バス

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道路

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国道
県道

施設

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熊本市立龍田小学校
公共
  • 龍田御野立所
  • 熊本国際民藝館
  • 芭蕉公民館
  • 一丁公民館
  • 龍田三町内公民館
  • 堂の前団地
    • 堂の前団地集会所
  • 武蔵塚公園
教育
郵便局
  • 竜田郵便局
  • 熊本上立田簡易郵便局

脚注

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  1. ^ 人口統計資料検索システム - 熊本市HP
  2. ^ なお、立田山の名前の由来は諸説あり、明確なソースはない
  3. ^ 代継宮(御由緒)
  4. ^ 龍田合衆国(史跡)
  5. ^ 熊本市中央区黒髪7丁目。龍田陳内と黒髪にまたがる。
  6. ^ 熊本市北区弓削1丁目2
  7. ^ 楠団地・武蔵ヶ丘方面行は桜町バスターミナル青の16番のりばより乗車。
  8. ^ SAKURAMACHI Kumamoto-バスターミナルをご利用の方へ

出典

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  • 龍田村熊本市編入合併50周年記念事業実行委員会『龍田村熊本市編入合併50周年記念誌』2008年。 
  • 大平五雄『龍田‐むかしと今‐』1992年。 

関連項目

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外部リンク

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